なぜ手抜きなのか

成田 生

手抜き屋 成田 生

 私は手でひたすら雑草を除く作業が嫌ではなく、むしろ好きです。なんなら「一面に生えたドクダミを毎日手で抜き続ける」ような、不条理文学みたいな作業が理想ですが、それで食っていける訳も有りません。下草の除草専門で看板を掲げたのは便利屋を始めて1年経った頃、便利屋の師である「こまむらさん」から「手作業の除草が苦でないなら、下草の雑草専門でやってみては」と言われたのがきっかけです。雑草の除草について、これまで色々やってきた中で自分に合っていると思った理由は2つあります。

1.私は毛も抜きます。

 特に髭は生え始めた頃から1本ずつ抜き続けており、剃ったのは10回くらいしかありません。イギリス出身の元新聞記者・マルコム・グラッドウェルが広めた「1万時間の法則」という俗説がありますが、何かを極めるのに1万時間必要というその理論を仮に本当とするなら、私は髭抜きを極めていることになります。量より質が重要とか、才能や資質の影響も大きいという意見もありますし、そもそも髭を抜くことに質も才能もないとも思われます。ただ「終わりのないことに対し、完成を諦めながらも少しずつやり続けることができる」というのは私の資質の一つなのでしょう。単につるつるが好きなのと、根っこから抜く快感があるだけですが。「だったら脱毛を仕事にしろよ」というツッコミも入りそうですが、除草をしている時は肌が大地に、髭が雑草にイメージが重なって大らかな気持ちになるのでした。ちなみに30代の頃は訳あって日常的に女装をしており、同じ発音であることも気に入りました。

2.私は手抜き除草に時間を使いたいです。

 誰もが自分の意思で生まれてきた訳ではない以上、死ぬまでの時間をどう使うかはその人の裁量で決められるべきです。意図的に他者を害したり脅かしたりしないのであれば、好きに時間を使うという幸福の追求は権力等に阻害されてはなりません。他者と衝突する場合は解決を勝ち負けや多数決で決めるのではなく、当事者全員が納得できるまで答を更新し続けるのが理想と考えます。かつての私はそうなっていない社会に不満を覚えながらも、実現を志す社会的自己すら持てない人間でしたが「総体としては一つの型に嵌る必要がなく」「自分の出来ることで他者の不足を埋められる」便利屋という職業に出会い、他者が出来ない/不得手/苦痛を感じるがしなければならないことの内、自分が出来る/得意/苦痛を感じないことに自分の時間を使えばよいと実感できました。これは山下陽光さんの『バイトやめる学校』にも書いてあることですが、自分の時間を使える「苦じゃないこと」の中でも、手抜き除草はその最たるものだと思った次第です。

 看板に「手抜き」屋と付けたのは、職人で溢れる業界の中でインパクトがあるかな、と思っただけですが、除草だけでなく私を信頼して困りごとを開示してくれた依頼者さまが、納得できるまで手を抜くことなく作業させて頂きます。「根絶よりとにかくさっさと片付けて欲しい」という場合も、鬼のような速さで刈らせて頂きますので宜しくお願い致します。

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